そんなこんなで黒帯になりました。ちなみに2段の
昇段試験は断った。
では、こんなにはまっているのになぜ広島を離れた
かというとこれまた師匠の言葉がある。それは
まず、家族。次に仕事。
少林寺は3番目ぐらいでいい。
というもの。正直悩んでいた。というのも、設計という
0から物を作る人間が広島の片田舎での生活しか知
らないということに疑問をもっていたから。でも、師匠の
その言葉が染み込んでいる僕としてはやはり仕事を選
んだ。それに関しては師匠は残念がってくれたけど僕の
選択を評価してくれた。ちなみに、広島に帰ってきて無
職の間は見学はしていたけど練習には参加しなかった。
馬鹿馬鹿しいかもしれないけど師匠の弟子である以上
けじめとしてそれは守りたかった。
そんなこんなで大阪の 設計事務所に内定をもらい就職
することが決まった。ただ、そのときから30ぐらいまでには
必ず広島には帰ってこようと決意はしていた。
まぁ、こんな感じで今に至るのだけど、今日本でも世界で
もいろいろな問題が起こっている中、師と仰げる人がいるこ
と、同じ目標を持った仲間がいることを幸せに感じる今日こ
の頃です。(終